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詳しい資料が残っている最初ものは、ロンドンの法律家ジェームズ・パックルが発明したパックルガンで、1718年5月15日「ディフェンス」という名前で特許を取得。時代を先取りした口径25.4mmのフリントロック式リボルバーカノンで、薬室の構造など具体的な説明がされている。1722年に行われた公開実射試験では7分間に63発を発射している。しかしながら、キリスト教徒には丸い弾丸、トルコ人異教徒には四角い弾丸を使用するなど現実性に乏しい部分も見られ、実際に製造されることはなかった。
19世紀中ごろまでに数多くの連発火器や、半自動火器が登場する。バレーガン(ミトライユーズなど)やダブルバレルの拳銃は、銃の部品を何重にもすることに頼っていた。ペッパーボックスピストルは撃鉄を一つにしたが、銃身は複数必要であった。リボルバーはあらかじめ弾倉に弾を込めさえすれば1つの銃身で連発が可能であるが、パックルガンと同じく依然として半自動であった。
1834年デンマークの発明家N・J・レイプニッツが空気圧機関銃を発明する。1分間に80発の連射が可能であったが、2mのはずみ車を2つ必要とするなど、非常に大掛かりな装置であったため、実用化されることはなかった。1854年イギリスのヘンリー・ベッセマー卿が蒸気を利用した自動後装銃の特許を取得。完全な自動装填装置を備えていたが、後に画期的な製鋼法を発明したことによりそちらに関心を向けるようになってしまった。
1861年南北戦争の最中、セールスマンのJ・D・ミルズがリンカーン大統領の前でユニオン・リピーティング・ガンと呼ぶ銃の実演を行った。この銃は単一の銃身で自動連射が可能な手回し式機関銃で1分間に最高で120発の連射が可能であった。リンカーンはコーヒーミルガンと呼び、ミルズの熱心な説得もあって、周囲の反対を押して1丁1300ドルという高値でミルズの持っていた10丁すべてを買い取った。機関銃が販売された初めての記録である。この機関銃の開発者、起源ははっきりしたことは分かっていない。1860年〜61年にウィルソン・エージャーによって製造されたものであるとされるが、1855年には原型が製造されていた可能性がある。エージャーと共にウィリアムズ・パーマー、エドワード・ヌージェントの名前があり、銃の特許権をめぐって裁判沙汰になっていて、アメリカではこの銃の特許の記録は残っていない。イギリスではエージャーが特許を取っており、エージャーガンとして知られていた。この銃はアメリカ軍の将校により少数購入され、橋などの防衛用として投入された。初めて機関銃が戦争で使われた記録であるが、信頼性、安全性に欠けていたため評判はすこぶる悪く、1865年までにはすべて軍から払い下げられた。
1862年11月〜1863年5月の間アメリカでの機関銃に関連する特許は80件以上に上っているが、実際に陸軍、海軍で試験されたものは7件だけであった。
この時代最も、そして初めて成功したものはガトリング砲で、1862年にリチャード・ジョーダン・ガトリングが発明した。束ねた銃身と薬室を手動で回転させる事により次弾を装填し連射を可能にする仕組みであり、他の機関銃と比べて最も信頼性が高かった。それでも、加工精度の低い弾薬が原因ですぐに弾詰まりを起こし、軍の評価は低かった。1865年に発表されたモデル1865は大幅に信頼性が向上しており、軍は評価を改め、1866年にはアメリカ陸軍で制式採用された。海外でもイギリスが採用した他、日本、ロシア、フランスなど各国が購入するなど広まった。アメリカでは自衛団などにも配備され、鉱山会社などでは労働者のストライキや暴動対策にも使用された。
ガトリング砲やそれに類似する物は南北戦争やインディアン戦争、普仏戦争に投入されたが、機動性が悪く、少数しか投入されなかったため、有用性は認められたものの、課題も多く戦果も限定的であった。日本国内で使用された最初の機関銃はこのガトリング砲で、1868年に戊辰戦争の一局面である北越戦争で長岡藩の家老を務めていた河井継之助が初めて実戦投入した。
アメリカでは1871年にはガス圧を
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するフランスのオチキス機関銃が登場した。1884年(特許取得は1883年)には、アメリカ人のハイラム・マキシムがイギリスで、水冷反動式のマキシム機関銃を発明し、1891年にはイギリス軍に採用された。マキシム機関銃はヴィッカース社により大量生産され、多くの国で類似品が生産された。1905年にはコルト社が空冷ガス圧式のブローニング機関銃を生産した。これらにより、機構が複雑で、重量がかさむガトリング砲は急速に廃れていった。
日露戦争では日本軍はオチキスを「保(ホッチキス)式機関銃」として採用、一方のロシア軍はマキシムPM1905重機関銃を使用した。旅順攻囲戦でロシア軍の機関銃が攻撃側の日本軍に対し圧倒的な破壊力を示した。その一方、日本側も騎兵に機関銃を携帯させ、効果的な用法を展開した。この当時は攻撃時における機関銃の運用法が確立していなかった。また初期の機関銃は大きくて重く三脚または銃架に載せ3人以上で運用するもので、陣地や要塞などの防御兵器には向いていたが攻撃には不向きであった。その後、攻撃時に歩兵とともに前進し1〜2人で運用できる軽機関銃が開発された。
第一次世界大戦でも機関銃は大いに威力を発揮し、鉄条網で足止めされた突撃する歩兵を恐るべき勢いでなぎ倒し、攻撃側は常に大量の犠牲者を産むこととなった。その為、双方とも塹壕に篭り、陣地を構築して戦線が停滞することとなり、戦車を誕生させる原因にもなった。また、航空機の武装としても取り入れられ、当初は地上用の改良型だったものが、より軽量でGがかかった状態でも確実に作動し、また高い発射速度も求められ、同調装置が発明され、航空機専用のものが開発されていった。
第二次世界大戦でドイツ軍が使用したMG34は、通常は軽機関銃として、三脚をつければ重機関銃として使用できる多目的機関銃として開発された。GPMG(汎用機関銃)の先駆けである。
軽機関銃の中でも分隊ごとに装備されたより軽量なタイプは、「SAW(分隊支援火器)」とも呼ばれる。 通常射手一人のみで運用される。小銃から発展した簡易機関銃といったものも多い
広義には拳銃弾を使用する短機関銃(サブマシンガン)もこの部類に含まれる。特に史上初の短機関銃であるM1915は、連装化され軽量型機関銃として配備されている。
航空機がジェット化されると、高速の航空機にとり、通常の機関銃、機関砲では散布する弾数が少なく、より高連射が効く機関銃としていわゆる「バルカン砲」などのガトリング砲がモーター給弾式の形で復活した。
通常は4名の要員によって使用されていた時期があった。内訳は指揮者、観測員、射手、給弾手。 しかしながら現在はほとんどが2名とされる(重機関銃等の用途によって変化するが射手と弾薬手で構成。運搬に関してはその限りではない)。
M61 はアメリカ合衆国のゼネラル・エレクトリック(GE)社が開発した20mmガトリング砲である。主に航空機用の機銃として用いられる。日本においては、開発時のコードネーム、及び製品名であるバルカン (Vulcan:ローマ神話に登場する火神。ギリシア神話の鍛冶神ヘーパイストスに相当) の名で知られる。なお、後述の誤用を防ぐ為、日本で本兵器の説明をする際には、戦闘機の F-14『トムキャット』の様に形式名+ニックネームで、M61『バルカン』等と呼称するのが適切と思われる。(詳しくは後述)
M61 は、20 ミリメートルのガトリング砲で、 6 本並べた砲身を反時計周りに回転させて連射を行う。2008年現在、M61、M61A1、M61A2 の 3 モデルが存在し、信頼性が高い事などから1958年にロッキードF-104スターファイターに搭載されて以来、アメリカ軍の機関砲を搭載した戦闘機のほぼすべてに採用されている(F-35A/B/C ライトニングII等では搭載されない)。また CIWS(近接防御火器システム) の一つ、ファランクスなどにも使用されている。
開発は1946年から開始されている。これは、航空機の高速化を見込んで、航空機銃の発射速度増大が必要となり、その方法として多砲身機銃・ガトリング砲に注目したためである。発射速度が非常に高いところを目標としたために、砲身を動作させる外部動力にガス動作式は不安があり、電気動作式となっている。開発が完了したのは1956年のことである。
発射速度は戦闘機に
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する場合、毎分 4,000 発と 6,000 発の切り替え式(最大で毎分 7,200 発、試験的に行った記録では1,2000発)で、毎分 6,000 発の発射速度で射撃する場合、およそ 2 tの反動が生じる。ただし、ガトリング式機関砲全般に言える事であるが、発射開始から規定の回転数までのスピンアップに時間がかかる(風車発電式ガンポッドで数秒、電動式で 1 秒弱、油圧式で 0.3 秒程度)ため、その間はスペック通りの発射速度は発揮できず(射撃開始後1秒間の発射速度は毎秒 70 発程度、油圧式の場合)、また、銃身の回転が安定していないため集弾も回転方向にぶれる傾向がある。M61A1 では給弾機構に改良が加えられ、当初 F-22 用として開発された M61A2 では銃身の肉厚を削ることで耐久性を犠牲にしつつもスピンアップ時間の大幅な短縮に成功している。なお、射撃停止には 0.5 秒程度の時間を要する(この間、砲弾は発射されないが、供給される砲弾が未使用のまま弾倉へと収容される)他、砲身の加熱による影響から、1回の発射時間は 2 秒以内に制限されている。
システム全体の重量は 140 から 190 キログラムあり、軽量化した M61A2 でも 96 キログラムほどになる。なお、FOD(エンジンの異物吸入による損傷)防止のため、航空機搭載タイプでは薬莢は回収される。砲身長は標準で 1.52 メートル。信頼性に優れ、故障が発生する確率は 100,000 発に 1 回程度と言われている。また、砲身寿命はおよそ12,000 〜18,000 発、システム全体の寿命は150,000 発程度である。
使用弾種としては、重量 100 グラムの M50 シリーズが主に用いられており、M56 榴弾や M56A1 焼夷榴弾、M53 徹甲焼夷弾、M53A1 徹甲焼夷弾、M56A3 焼夷榴弾、さらには新型の PGU-28 半徹甲焼夷榴弾等が使用される。ただし、口径 20 ミリメートルでは、1 弾あたりの破壊力が小さいと懸念する向きもある。対艦ミサイル迎撃用であるバルカン・ファランクスでは装弾筒付き高速徹甲弾 (APDS) が使われ、これは米軍では劣化ウラン製であるが、核に対する
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の強い国柄である日本やオーストラリアなどでは高価なタングステン合金製である(米海軍でも1988年以降はタングステン合金製弾芯を使用しているとされている)。
M61バルカンは、地対空火器としてしても採用されており、M113装甲車に搭載したM163対空自走砲、牽引式のM167などがある。これらはVADS(Valcan Air Defence System)と呼ばれている。航空自衛隊がM167の改良型を、VADS-1として基地防空用に配備している。
他に海上保安庁の巡視船や、海上自衛隊の1号型ミサイル艇、掃海艇(機雷処分用)に搭載されている。これらは発射速度を毎分450〜500発に落とし(弾倉の装弾数は不明)、薬莢を回収する容器を取り付けられるように改良されている。